哲学と法に関する論文

 今日、学問をしたいと思う人の、ポアンカレ予想、フェルマーの大定理のようになれたらと思って、学問の隆盛を願って書き記そうと思います。

 まず、哲学は諸学問の基礎と呼ばれているのは周知のとおりだと思いますが、その哲学で、自分なりの発見を取っ掛かりとして、問いたいと思います。

 その発見とは何か、というと、 イメージで、

    力→術→技→力→術→技→力→術→…(以下同じように続いて円を描く)

 すなわち、力は術に打ち勝ち、術は技を翻弄せしめて、破ることができることで、技は力に勝ることもある、ということがいえる とすると、 言葉の世界ではどうか、 と考える。するとどう置き換えてみようかというと、

    力=理論  技=諺・ことわざ  術=詩、詞(芸術に含まれるもの)

 となって、

 「言葉」 理論→詩→ことわざ→理論→詩→ことわざ→理論→詩→…

                            と、こうなります。

 理論は詩を「訳させる」というか「肯定せしめる」ことができて、詩は、ことわざを無効なものにさせ、ことわざは理論を一口で言い表すことができるということが言うことがいえます。

 哲学は、「学成りがたし」といえても、確立することはできると思うことを基盤に考えを進めていくと、言葉において、

  理論は詩に勝ち、詩はことわざに勝ち、ことわざは理論に勝つ 

という、シンプルな答えが出てくるように思われます。(これは自分の昔から「勝ちたい」という欲求を満たしてくれるように思えます。)

 これではまだ観念論で、具体例を出してみてくれといわれれば、こういえると思います。


 「言葉」 理論:私はグラブではない グラブは私ではない→詩(芸術)→ことわざ→                理論→…

 「言葉」 理論:午後五時ごろ、車を走らせていると、帰り道なので、テールランプが
                、電灯がついている→:こよいも電車が光のように走る
                                     まるでひかりのようだ
                                     人はだまって立ちつくす
                                     一つ一つの光はどこへゆくのだ
                                     ろう
                                     わが家へ わが家へと
                                     まるで矢の ように
                                     進む
                                     →ことわざ光陰矢のご
                                                 とし→      理論:…→

 「言葉」 「普通」は残酷だ→道があった
                  進んでいった
                  右折するところがあった。
                  いきどまりだった。
                  袋小路だった
                  周りは壁だった
                  前に進めないと思った。
                  でも、壁づたいに歩けば
                  いきどまりは、「存在しない」ということに気付いた  →急がば
                                                   回れ

      …
      どう思いますか。
      誰もこんなことを考えながら口を尖らす人、というか何かをしゃべる人はいないんじゃないかと思いますが、僕は何でもしゃべることはよいことだと思うのです。

 「三連想」または、「三破論」(サンパ論)と名づけてもいいと思います。どうでしょうか。これ以外にも法則というものはいろいろあり悪法もまた法であるといえると思います。そのときはまた、十人十色とか言うと思いますけど。
                                                   

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