「みっつ」の連想

 「みっつ」とは、「三」ということです。これを「三連想」と名づけます。三すくみと違うところは、ネーミングや意味内容が「積極的」なところです。
 では具体的に三連想とはどういうことかというと、自然界に帰ることがあたかも贅沢であるかのように思う人がある中、人間的になりたいなと思う人に勧めます。それはおいといて、どういうことかというと、三つのことが、存在すると、根源的なことがあらゆる場面で解決できるということです。たとえば、「力」ということは少し日本人にはマイナスイメージが強い言葉だと思われると思われるわけですが、これに対して、最近「技」ということがしばしば取り上げられるようになりました。これは、「力」を技で凌駕するということがいえると思います。昔から小さい人が大きな人をたおすには、まともに「力で」挑むのではなく、工夫を凝らした「技」を使うということがいえると思います。これで「力」は「技」に納得、土がつくと思います。では、それでは「技」が万能かといえばそうでないと思うところです。「技」というのは「力」に強い代わりに「術」(術またはすべと読む)にはまかれる、またはまやかされるということがいえると思います。どんなに「技」を尽くそうとも「術」には勝てないのです。「催眠術」を何とか「技」で押さえ込んだという話を聞いたことがありますか?私にはありません。そんな感じで「術」は「技」に勝ち得るということがいえると思うのです。ではでは「術」が最強なのかといえばそうではないのです。何を苦手とするかといえば、「力」なのです。「力」は、「術」を封じ込めます。ねじ伏せます。「実力」などというものは、まやかしの類には簡単に屈服しないものなのです。それではその「力」は何が苦手かといえば、「技」、それに勝つのは「術」、それに勝つのは「力」それに勝つのは…と、ぐるぐる回る円を描きます。スポーツなどを想像、イメージするとなんか、分かるんじゃないでしょうか。また、楽しく、面白く見ることができるんじゃないでしょうか。
 以上が自然界における、法則であるといえると思います。

 じゃあ人間的になりたいなと思う人がこの法則を表現するとしたら、何が必要でしょうか。考えてみると、「言葉」というのが、人間特有のツールではないでしょうか、「はじめに言葉ありき」とはよく知られているところです。「思いやり」って言うもの(言葉ですけど)は、「言葉」をかけてあげることが、そのこうむる人にとっての一番の贈り物じゃないでしょうか?人間的な人と呼ばれる人が先の、「力」、「技」、「術」を人間界で応用というか遣ってみたいなと思えば、以下のことがいえると思います。「力」に対して「理論 theory」、「技」に対して「ことわざ proverb」、「術」に対して「詩、詞 poetry、liryc」ということが頭に思い起こされると思います。それが、端的に言えば、「理論」は「詩、詞」に勝ち、「詩、詞」は「ことわざ」に勝ち、「ことわざ」は、理論」に勝ち、その「理論」は…とぐるぐる回るということがいえると思います。これはあくまでも観念的なので、例を言ってみれば、イメージしてみるとこんな感じだと思うのですが、「理論 AはBである、だからBはCである」ことに対して、「ことわざ 犬が西向きゃ尾は東」、これをまるでことわざなのに、意味なくしてしまう「詩 りんごは赤い/りんごは青い/りんごは甘い/君のように」これを解釈する「理論 この詩は、りんごを君にたとえたものである」と、これに対することわざ…。。。というように、なると思うのです。 …しかしこの考え方は延々と続くので、何も言わないのと同じ…な気もするのですが、どうでしょうか?

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